太宰治 「女生徒」
本書の読了時間
約1時間程度
おススメ度
★★★★☆
どんな人におすすめ?
・思春期の女の子の胸の内がどんなものか知りたい!!という男の子
・男性作家の書いた女の子の胸の内ってどんなもんかねと?と気になる女性
・思春期ってこうだったよねと思い出したい男女
・映画「ゴーストワールド」なジャパニーズガールに会いたい方(こっちが先だけど!)
あらすじ
私たちみんなの苦しみを、ほんとうに誰も知らないのだもの。いまに大人になってしまえば、私たちの苦しさ侘しさは、可笑しなものだった、となんでもなく追憶できるようになるかも知れないのだけれど、けれども、その大人になりきるまでの、この長い厭な期間を、どうして暮らしていったらいいのだろう。誰も教えて呉れないのだ。ほって置くよりしようのない、ハシカみたいな病気なのかしら。
—————————————
"あさ、眼をさますときの気持ちは、面白い。"
冒頭、希望に満ちて目が覚めたかと思いきや、次のセンテンスでもう"むかむか腹立たしく"、そして間を置かず"朝は、なんだか、しらじらしい。"となる。そんな2対8くらいの割合で何かにムカついている女の子の朝から晩まで、を描いた小説。
生活の中で目に留まるものに対して、女の子は包み隠さず(少しグロテスクなくらい容赦なく)心の中でつぎつぎに批評し、また想像の糧としていきます。視線は眼鏡や食べているキュウリ、犬、傘、新聞、などの手に届く範囲のものに向けながら、それをもとにここではないどこかに思いを巡らせていくのです。例えばそれは、パリイの街並みについてだったり、もしも私が本を読んだことがなかったらという「タラれば」話、そして過去現在未来をいっしょくたに見るような体感を語ったり。
そんな女の子の過ごす一日の流れや周囲には、どうやら新鮮味が欠けているようです。だんだんと増えていく語彙や思考力にもかからず、その光を当てる対象はいつも変わらない。とっても退屈、そしてこのままで良いのであろうか感。ここではないどこかに行きたい、でもいけない、もしいけたとしてもどこに行けば良いのか分からない。そして、ただただ多感。
読者も少しメランコリック(仮)な思春期の日々を思い出すのではないでしょうか。
物語は女の子が床に就き、”もう、ふたたびお目にかかりません。"という言葉で終わるのですが、冒頭に戻るとその地続きで朝を迎えたかのよう。女の子の過ごしている「変化に乏しい日々」を追体験できます。
—————————————
明日もまた、同じ日が来るのだろう。幸福は一生、来ないのだ。それは、分かっている。けれども、きっとくる、あすは来る、と信じて寝るのがいいのでしょう。
↓こんな可愛い装丁の文庫も出てます
↓「女生徒」に似ていると思った映画です(雰囲気)!
作品のテーマは?
作品のテーマ、魅力は、女の子の想像力の描かれ方にあります。
女の子の視線を根っこに例えるとしたならば、その根に触れたものから次々と葉や花を咲かせてはそこに置き去りにして、次に興味を惹かれるものに根を伸ばす。退屈している女の子が道行くだけで、そこに花を咲かせていくかのような描写に心躍ります。
女の子の気持ちを知りたい男の子におススメとか書いておきながら(!)、ここまで感性豊かな女の子はなかなかいないのではないでしょうか。
実は本作、太宰治宛に送られてきた女性読者の日記を題材に作り上げたもの。
後世に名を残す文豪の目に留まる日記、さぞや感性がきらめいていたのでしょう。
その日記×太宰治=「女生徒」なわけです。
女の子の想像力に乗せられる不思議な楽しさに「私の少女時代を見ているかのよう」という安易な共感の声を漏らした読者を、太宰治はプププと笑っていたのでは(意地悪!想像ですが)。
また女の子が過ごす退屈に感じる一日も、作品のテーマの一つではないでしょうか。
女の子は視界に入るものへの既視感に苛立ちを隠しません。
朝起きてから床に就くまでを描いている本作ですが、読み終えてまた冒頭にもどっても何も違和感のない円環の構造となっています。まるで、ぐるぐると同じ日をめぐっているかのような。その遠心力は女の子の感じる既視感を、より際立てせているのではないでしょうか。
また本作では、大人になることへの恐怖、とりわけ女になることの恐怖を語るときの意地悪さが目立ちます。
それは女の子が見ぬ将来への不安なのでしょうか。新しい刺激を渇望している女の子のことだから、それはないでしょう。
きっと、ほとんど何も変わらない日々を過ごして、そのことに対してさえ無感動になっていくことへの恐怖なのかもしれません。
女の子は、何もない一日がかけがえのない一日など、まだ信じていないのです。
そして想像は続く、、、、
およそ一時間程度で読み終わる小説ですので、ぜひお手に取ってみてください!