本書の読了時間
約30分程度
おススメ度
★★★★★
あらすじ
申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、酷い。酷い。はい。厭な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。___________________________
冒頭、息せき切ってただならぬ感情の切れ切れを火のように吐く男の告発から、物語は始まります。生かして置いてはいけない、ずたずたに切り裂いて殺してくださいと"旦那さま"に訴えている相手は、その男の師、主です。
聖書や本書に馴染みのある人は読み始めてすぐに、イエス・キリストと、その弟子イスカリオテのユダの物語と気付くのではないでしょうか(聖書に疎い私は気付かなんだ!)。
物語は終始、その男"ユダ"の必死の訴えで構成されています。ユダの乱高下する感情に乗せながらイエスとの旅を始めた理由、折々の想い、そして聖書には描かれていない、「ユダがイエスを銀貨30枚で売るまで」の軌跡を辿っていきます。
イエスを熱烈に愛し、愛するが故に殺すしかないと考えるに至った人一倍感情のふり幅の大きい悲しい人間として、太宰治はイスカリオテのユダを描いています。
小説のそこここから、ただただイエスに振り向いてほしいというユダの切実さが胸に迫ります。
そして疑問も抱きます。小説のところどころで自らの死を予感していると、イエスは匂わせます。
なぜ、ユダを罪から救わなかったのでしょうか。
裏切り者の代名詞ユダの角度から聖書に光を当てて、イエスの影の形を覗いているような。口語ですらすら読めて、とても短い小説なのに、胸がざわざわする作品です。
電子書籍であれば全集がおススメです!
走れメロスにも収録されています。
作品のテーマは?
ユダが望むイエスとの関係を触媒に、揺れ動く激しい感情の動き
怒り、殺意、後悔、尊敬、疑念、嫉妬、思うに恋、独占欲、愛etc..
その描かれた感情自体が、この小説の大きな主題の一つではないでしょうか。
感情はじわじわと変わるのではなく、親愛の念が一行後には怒りに変化する、といった物凄いスピードと振れ幅で描かれています。
そしてもう一つの主題は、イエスはなぜ、ユダを罪から救わなかったのかということ。
言い換えると、死の訪れを予感している様子のイエスは、なぜユダに裏切りを行わせたのでしょうか。
ユダの目からは、イエスは"無理に自分を殺させているように仕向けているみたいな様子が、ちらちら見え"るという描写もあり、訝っています。
物語の終盤、弟子たち全員の前で、イエスはユダを告発します。
"「お前たちのうちの、1人が、私を売る」"
そしてそれはユダであるということを示す衝撃的かつ不思議と間抜けなその時。それはイエスへの殺意をくすぶらせていたユダの気持ちに、恥の油を浴びせて炎上させたようにも見えます。
やはりユダに、自らを殺させたかったのでしょうか。
しかし太宰の描くユダは神の存在を信じていないので、イエスの予知能力などそもそも信じていないはずです。冷静になって、こいつの言っていることはデタラメであると看破できる最高のタイミングであったのに、なぜ、そこで思いとどまらなかったのか。
イエスはユダを、罪から救う様子を一切見せません。
そのときユダは、イエスの望みが、ユダに自らを殺させることだと感じたのではないでしょうか。
ユダはイエスを愛するがゆえに、ここで看破してしまってはイエスが弟子たち全員の前で恥をかくことになる、嘘っぱちとして片付けられてしまうと考えたのではないか。
ユダが悪事に手を染める事で、イエスは自らの死をも予言する神としての地位を得ることができたのではないか。30枚の銀貨など殺人の動機として一切出さなかったのに、ユダは最後にそれを受け取ります。自らを貶めることで、イエスの言う裏切りに真実味を与えたのではないでしょうか。
一方で、ユダの望みは叶えられたのではないかという見方もできます。
太宰治が描くユダの望みは、二つあります。
"他人の手で殺させたくはない。あの人を殺して私も死ぬ。"
"ただあの人から離れたくない。"
"他人の手で殺させたくはない。あの人を殺して私も死ぬ。"
この望みは叶えられています。イエスは殺したも同然、そして小説の最後、世界中から見放されて死んだも同然となるであろうユダが描かれています。
そして"ただあの人から離れたくない。"という望みに関しても、どうやら叶えられたように思うのです。聖書はもちろんのこと、世界の様々な美術品や本作、最近ではレディーガガにも作品のモチーフとして取り上げられて、イエスのそばにいることを永遠に約束されています。
一人は世界を照らす神として、もう一人は裏切り者の代名詞として、分けられてはおりますが。